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【ブログ】小木の五月人形 上杉謙信公、兜に込める武将の想い

■ 2024/03/08(金) 【ブログ】小木の五月人形 上杉謙信公、兜に込める武将の想い
戦国時代に活躍した武将の兜をご紹介したいと思います。

戦国時代の兜は、防御力や機動力を高める工夫と、戦場で自らの存在を誇示することが狙いで、さまざまなデザインの工夫をされています。
兜には、「立物」と呼ばれる装飾部分があり、前立、脇立、後立、など付ける位置で名称は変わります。

信仰やげん担ぎ、忠誠心・友情・信頼の証など武将たちが心を込めた兜の意味を知ったうえで、五月人形を選ぶのも良いと思いますよ。

本日は、上杉謙信公の紹介です。

上杉謙信は、越後国(現在の新潟県)で、1530年に越後国の守護代を務めていた長尾家の四男として生まれ、初めは長尾景虎と名乗っていました。
その後、兄の養子となる長尾家の家督を継ぎ、当時関東管領だった上杉憲政から山内上杉氏の家督を譲られ、上杉政虎と改名をして関東管領の役職も引き継ぎました。
生涯で70回の戦に出陣し、うち敗北が2回のみという勝率の高さから「越後の虎」「軍神」とも呼ばれた戦国大名です。
上杉謙信は民を大切にしていた武将として知られています。
特に武田信玄との5回にわたる「川中島の戦い」は有名ですね。

上杉謙信の兜は、太陽を表す「日輪」と「三日月」の鍬形が特徴的です。
「日輪三日月」は勝利や護身にご利益があるとされる「摩利支天」を象徴していると言われています。
摩利支天は、仏教の守護神であり、太陽や月の光線を意味し、陽炎を神格化したものです。
姿が見えずとらえどころがない陽炎のように、敵をかく乱しつつ、自分の力を最大限に出し上昇気流に乗せ、戦に勝つという縁起のいい、自分を守ってくれる神様であり、日本では武士の間に摩利支天信仰がありました。

上杉謙信の辞世の句
「極楽も地獄も先は有明の 月の心に懸かる雲なし」(上杉謙信)
~この先が極楽だったとしても地獄だったとしても、自分の心は雲のない月のように晴れ渡っている~
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